ユネスコ世界文化遺産の1つに指定されているメサベルデ国立公園。先住民族のそのまた祖先が定住していた遺跡がそのまま残っている、アメリカの国立公園で唯一自然のものではない国立公園であり、遺跡は現在見つかっているだけでも優に100を超え、崖上、竪穴、岩窟住居と年代に合わせて彼らが住み移った様々な遺跡が残されている。この地域に生存していた有史以前の先住民族に関して定説は無いが、最もポピュラーな説としてはおよそ2万年前を前後して、ベーリング海峡を渡ってきた古代民族が狩猟をしながらアメリカ大陸を南下しながら点在していった際の一部であり、そのまま南下を続けていった人々は南米まで到達し、高度な文明を築き上げたというもの。
メサベルデ周辺においては、今からおよそ1900年前、アナサジ(祖先の)と呼ばれる先住民族がこの地に住み始め、当時は特に部落というものを持たず各自ばらばらに生活をし、主に農耕を営んでいたと考えられている。5世紀から9世紀にかけプエブロと呼ばれる部落を築くようになり、独特なかご作りで知られるバスケット・メーカー文化が発展した。9世紀に入ると、部落は干しレンガの壁を持った建物による区画整理が始まり、集会場、儀式の場(キヴァ)等を持つ本格的な集落へと栄えていく。当時は畑も住居もメサ(崖上の台地)上にあり、かご作り以外にもとうもろこしの品種改良を行う等大変高度な農耕技術を持っていた民族であったと言われている。12世紀には、畑をメサトップに残し住居は崖を降りた渓谷に生活の場が移されている。干害によりメサトップで水が出にくくなったという説もあるが、自分達にしか判らない組み合わせで崖に刻まれたステップを使いメサトップの畑と住居の間を昇り降りしていたことから、外敵から身を守るために住居を崖下に移した事が考えられる。 崖下では、本格的な岩窟住居の建設が始まり、1家族が入れる部屋が217部屋集まるクリフ・パレス、110部屋あるスプルース・ツリー・ハウス、80部屋以上揃っていたスクエア・タワー・ハウス等、大きな集合住宅が造られた。 1300年代前半にはフォーコーナーズ広域でおよそ30万人ほどの先住民族が生活していたと想定されるが、14世紀後半、すべての民族が忽然と姿を消した。このメサベルデにある遺跡も、住居は焼かれてしまったが遺体等は見つかっておらず敵に襲われたとは想定しがたい。異常気象による大干ばつか、何かから身を守るためか、いずれにしも理由はいまだに定かとなっていないが、この時期に歴史的にも残る民族大移動があった事は確かである。
メサベルデ遺跡は、1800年代半ばにはその存在が知られていたが、1888年に周辺の牧場主であったリチャード・ウエザリルが現在のクリフ・パレスを発見して以来考古学者が興味を持ち始め本格的な調査が入り込むようになった。 1906年には国立公園として制定され、1978年に世界文化遺産として登録された。
ファービューテラス(Far View Terrace)
公園入り口から入り山道を30分ほど運転していくとあるメサベルデのビジターセンター。ホテル、レストランもあり、現地ツアーもここから出ている。夏の間は大学の考古学を専門とする教授や学生がガイドのアルバイトに来ており、タイミングが良ければ非常に内容の濃い話を聞くことが出来る。このポイントからは、ユタ州、アリゾナ州、ニューメキシコ州が見渡せる。